音楽業界について(90年代より)

90年代のバンドブームから、今はアイドルブームへ

スマホとヘッドホン

90年代を生きたひとであれば、そのとき「バンドブームがあった」ということはご存知なのではないでしょうか。

90年代になると、たとえばX JAPANなどのビジュアル系バンドが数多く誕生します。

X JAPANのブームはすさまじいものがありましたよね。

激しい音楽にとがったビジュアルが一定のファンを惹きつけ、あの紅白歌合戦で「紅」を演奏したことを忘れていない人は何人もいるのではないでしょうか。

そんなX JAPANたちの流れから、GLAYやL’Arc~en~Cielといったバンドたちが生まれる様になります。

GLAYは北海道の函館市から上京した4人組のバンドですが、「However」を皮切りに彼らの音楽はあっという間に音楽界に浸透しました。

一方、L’Arc~en~Cielの存在が世間に浸透しはじめたのは、「るろうに検心」の「虹」であると言われています。

この当時、メンバーの一人が逮捕されて脱退したものの、その後新しいドラマーのyukihiroを加入させて再出発を果たし、「flower」「snow drop」などのヒット曲を産んでいくことになります。

小室哲哉ブームの終焉

そんな90年代ですが、代表的なものに小室哲哉のブームがありました。

T.M.Networkのキーボードとして活躍していた彼はプロデュース業でもヒットを飛ばすようになり、TRFを皮切りに「グローヴ」「華原朋美」など、数多くの歌手を輩出することになります。

小室が曲を書けば売れる、とも言われたこの時代、彼の影響は計り知れず、また彼の楽曲からヒットに恵まれた歌手も決して少なくありません。

街を歩けば小室哲哉の音楽にぶつかると言われたように、この時代はまさに小室哲哉の時代と言っても過言ではありません。

小室哲哉から浜崎あゆみの誕生へ

そんな小室哲哉ですが、実は所属していたエイベックスと決別をするという事件が裏にありました。

エイベックスは小室哲哉の楽曲え会社を大きくしましたが、小室哲哉が次第に横暴になったという理由で決裂。

当時社長であったエイベックスの社長いわく、当時エイベックスは上場手前だったそうで、この決断はまさに社運を左右する出来事だったと言います。

その松浦勝人氏は自力で浜崎あゆみやEvery Little Thingを発掘、彼らをヒットさせることでエイベックスをさらなる大企業へとのし上げました。

特に、浜崎あゆみは会社の総収入の4割を稼ぎだすくらいの歌姫となり、それが社会現象になるほどのヒットに。

まさに、平成の歌姫の誕生と言っていいでしょう。